中島牧子のプロフィール

略歴

  ◎1946年9月 刈谷市野田町に生まれ、3歳から大学時代まで名古屋に居住。
◎1965年3月 名古屋市立向陽高校卒業。
◎1969年3月 日本福祉大学を卒業後、東京江戸川区立保育園に勤務。
◎1970年10月 結婚のため安城市へ転居。翌年から知立市へ居住。
安城保育園、安城電気(株)内「こばと保育園」に7年間勤務。
◎1978年4月 自宅に産休明け保育所「さくらんぼ保育園」を設立、勤務。
◎1982年8月 知立市議選で初当選。9期連続当選。

《この間》副議長、経済厚生委員長、総務文教委員長、議会運営委員、駅周辺整備特別委員長、衣浦東部広域連合議会議員、農業委員などを歴任

《現 在》市議会副議長、建設水道委員、予算決算委員、議会改革特別委員会副委員長、
     議会だより編集委員、
     
     さくらんぼ保育園

《家 族》夫と2人暮らし

《取得資格》社会福祉士、保育士、普通自動車免許

《趣 味》園芸、山歩き、手話

私の歩み

中学1年の時、伊勢湾台風に被災、多くの友人が命を落とす。その後の「福祉の道」を志したきっかけとなる。大学では伊勢湾台風の被災地域に展開したサークル「ヤジエセツルメント」に参加。先輩たちの活動、手づくりの保育実践「レンガの子ども」という映画に心打たれ、それを引き継ぐ地域活動に情熱を燃やす。この活動を通じて日本共産党を知り、入党。愛知県学生自治会連合執行委員歴任。

大学卒業後は保育士として東京へ。美濃部革新都政誕生で活気に溢れるなか、ストライキを経験。「乳児保育」についても「必要悪論」に対し「子どもの全面発達の保障」と真剣な論争も懐かしい。

結婚直前、夫の転勤で退職、安城へ。3人の子育てをしながら保育園に勤務。
1978年、「産休明けからの保育所がない、これでは女性は働き続けられない」と仲間3人で手作りの「さくらんぼ」を自宅に開設。12名定員の小さな保育園は、親も子も保育士もみんなが育ちあうアットホームな保育園として、地域にも支えられ今日に至る。200人を超える子どもたちが巣立った。

議員になって

1982年、保育行政を良くしたいとの思いでの議員活動をスタート。小さな保育園の現場から知立市の保育行政に足りないものが見えてくる。公立保育園の乳児・長時間保育の拡充、保育園給食、離乳食の充実、小学校に入学してからの受け皿である学童保育所を全ての学区にと声をあげ、今日まで多くの皆様とともに運動し、充実させてきたと実感。今、政府は税と社会保障の一体改革の中、保育・子育て新システムを進めようとしています。公的保育の崩壊に繋がるこのシステムを許してはなりません。

また、「困っている方がいたら放っておけない。何とかする」という心情で、相談活動を行っています。相談事を解決するために必死で法律や制度を学ぶことは、これは自身にとっても貴重な経験です。手話を勉強したのも聾唖者の生活相談がきっかけ。福祉分野だけでなく、建設、開発分野でも、入札問題でも相談がきっかけで広く勉強でき、議員としての大切な力を得ることができる活動だと思う。「情けは人のためならず」とよく言ったもの、相談を受けて私が得たものの方がたくさんあるのではないかといつも感謝している。

小泉改革以来、格差社会で苦しむ人々がたくさん出ている。2009年4月知立団地派遣村をボランティアの方々と開催し、派遣切りされ路頭に迷う多くの皆さんの自立支援活動を進めてきた。いつでも市民に暖かい政治を目指し、幅広く、福祉の充実をすすめる役目が日本共産党だと確信している。議会は市政のチェック機関。市民の目線で、これからもがんばる決意です。

「初心を忘るべからず」この言葉を残したのは室町時代の能役者、世阿弥である。謡曲を人生の楽しみにしていた父が生前よく話していたが、この言葉は父と重なり、懐かしく重みのある言葉、私も心情としている。
 

住所・連絡先

・住 所:知立市昭和3丁目2番地23
・TEL:0566−83−0586
・FAX:0566−83−7264
・FB :中島牧子

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