市政の動き−議会報告

【17.02.03】《金沢泰子氏の人権講演》「ダウン症の娘と共に生きて」障がい者の成長に気づく感動

 障がい者の尊厳を認めあう社会こそ・・「許せない相模原事件」の思い深め

 1月26日、ダウン症のある書家・金沢翔子さんの母・泰子さんが、「ダウン症の娘と共に生きて」と題して講演しました。知立市主催の人権問題を考える講演会で、当日、中央公民館は参加者であふれました。「闇のなかにこそ光がある」と娘の成長に気づく感動のなかで得た心情を語られた講演会、この日は、ちょうど相模原事件から半年目でした。  

 30年前はダウン症を隠さざるを得なかった

 1976年、国連が国際障害者年決議を採択し、障がい者の「完全参加と平等」を世界中に呼びかけました。しかし、障がい者への偏見は根強く残るなか、その10年程後、翔子さんは誕生しています。金沢泰子氏は、ダウン症と診断され「世界1不幸な母親」と感じ、娘の障がいを隠し、親子で引きこもる状況だったと振り返りました。
 その後、泰子氏は自らの書道教室で翔子さんに書を指導しました。若くして亡くなった父親の「結婚式の代わりに20歳の記念に個展を開いてやりたい」の言葉通り、それを目標に般若心経を書かせたところ、朝から晩まで熱心に取り組み、その字数は3千字を超えて、自信と実力、そして個性を花開かせていきました。個展は大成功。翔子さんが初めて世に出た瞬間でした。翔子さんの書を見た人に皆一同に感動の涙を誘うという光景に、泰子氏は驚いたと語りました。

 「闇のなかにこそ光が」

その後、書家として活躍し、自信を持った翔子さんは、昨年からついに1人暮らしをはじめ、地域の人々を元気にしているそうです。泰子さんはダウン症の翔子さんが「人並みには生きられない」どころか、「個性でみんなを幸せにできる」ことを目の当たりにし、「今、世界1幸せな母親となった」、「闇のなかにこそ光が見える」と講演を結びました。
 2014年、障害者権利条約が批准・発効され、そして16年4月、障害者差別解消法が施行されました。国際障害者年からなんと30年が経過。金沢泰子氏はその流れを縫うように生きてきたのだと聞き入りました。  

 相模原事件から半年:障がい者の尊厳守れ

 また、開催日の1月26日は、相模原市で起きた「津久井やまゆり園」で暮らす多くの障がい者が殺傷された事件からちょうど半年目でした。植松聖容疑者は、事件直後「障がい者は不幸をつくる」と殺人を正当化する発言をしました。日本障害者協議会代表の藤井勝則氏は、日本の中にこのような「優生思想」が潜んでいることに目を向けなければと警鐘を鳴らしました。70年前、ナチスドイツ時代に、「価値なき生命の抹殺の容認」作戦で、働けない、兵隊にいけない者や障がい者が標的に約20万人が殺されました。同様に日本では、1940年制定の国民優生法のもと、ハンセン病の患者、知的障害者などが強制断種させられ、障がい者の尊厳は認めませんでした。今も残る優生思想が事件の元です。これを克服し、障がい者の尊厳を守るため「障害者権利条約」を名実ともに保障する政府の対応が至急求められます。

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